戦果
この国は一応三権分立を掲げている国家である。裁判制度というのものがございますし、憲法や民法、刑法なども【一応】ございます。イルカちゃん映画上映に関して、言論の自由を盾に、一方は抗議行動をしており、一方は上映の自由を主張して対峙しておりますが、言論の自由というのは憲法でござまして、私人同士の争いの場合、上映映画館側も圧力に屈することなくご自由に上映してくださいませ、業務威力妨害と考えているのならば民法や刑法を使用し司法に訴えてくださいませ、また抗議団体側も真実でなく公共の福祉に反すると思いならば民法で戦って上映中止にすればいいのに、そこまで頭廻らないのですか?
両者とももうすこし頭を使って欲しいと、思われます。お金も持っているのでございましょう?
金子氏というスポニチのサッカー評論家がいるそうです。評論家というのは大抵、人のふんどしで喰っているため、面白おかしく個性的な文章を書こうと必死でございます。ただ一般人より違うのは、そのことで飯を食っているわけで、人よりその知識が多いくらいで、あとは知能や人柄の問題となることが多々多いと思われます。
W杯、カメルーン勝利後、彼の文章を目にして、こんな評論家が、飯をくっていけるサッカー業界こそが問題と思ったのは私だけではないでしょう。
まず彼は、最初の個人的感想でもある試合を例にだして、今回のW杯勝利で日本が喜んでいる件は理解を示しています。
しかし、その後から、私は喜べないという、自己感想を書き連ねています。
ここで、前半の勝利とW杯の勝利を比較しているところが、愚かで単純な発想だなぁと可笑しくなりました。歴史も時代も、土俵も違うのに、戦略、戦術を同じように語るのは、居酒屋での会話だけにしてください、な。1500万条件のレースとG1レースを同じように語る人は競馬ファンはいませんし、先輩からそれはな、こういうことだし、全然違うことなんだよ、とたしなめられます。彼の文章の悲しいことは、そういってくれる先人がいないことなのでしょう。
中盤から、ただ単に抽象的な文章を書くより、評論家なら、もっと具体的に、書かないとダメです。私が編集長なら、「君?これはこうしたほうがいいよ」と忠告することでしょう。
だって、今回のW杯、高低差激しすぎなんです。あのブブーもかなり激しいので、ピッチ上で声がまったく聞こえない状態なのです。そのような環境的要因を挙げもせずに、ただ単にひたすらクリアするだけと表現を使用するのは、プロの評論家としていただけないです、ぞ。例えば、視界にない後方からのプレスは、声をかけますが、聞こえない時、一番たしかな安全策は、大きくクリアで、時間を稼ぐことです。あの時間帯は日本は必至でした。繋げるときは、繋ごうという意思も見られましたし、時間を稼ぐためにいかなる手段も使うという方法も見えていました。前回W杯のオーストラリア戦とは大違いです。後半出場した選手はイエローを貰う覚悟で止めてやろうという気迫も見えました。
それで、いいんです!
アルゼンチンは初戦、最後は見事なパスワークで時間を稼ぎましたが、そこまで日本は実力はないんです。まだまだ下手ぴーなんです。でも、それでも頑張る姿こそが、子供たちには強く影響を与えるし、感動を呼ぶのです。
あなたはもし自分が指導者ならと文章を、たらればで綴りましたが、もし彼が監督なら、ボールを大切にしろ、繋げと教えるようですが、それは幼稚園児に教えることです。
評論家なら、もっとましなことを書けばいいのに。
紙一重の差で決まります。右、右で当たって、DFに右を植付けさえておいて、次は左か右なのか、それはぶつかる方向も走る方向も蹴る脚、ポジショニングなどの色々な要因があります。そのようなことを選手達はピッチで瞬時に判断して、行動しています。
カメルーン戦でも、考えてやっている部分は、随所に見られましたし、本田選手のゴールまでの軌跡は、それをやってのけたのが見事にあてはまりました。後半も全員で死守しようという姿が見てとれました。
彼の文章が描く、「日本=退屈。日本=アンチ・フットボール。この試合で張られたレッテルを剥(は)がすには、相当な時間が必要になることだろう」
言論は自由です。
しかし、彼は今後後世に向かって、この一文が、彼のライターとしての恥ずべき歴史と名を刻むことになるでしょう。
この国は一応三権分立を掲げている国家である。裁判制度というのものがございますし、憲法や民法、刑法なども【一応】ございます。イルカちゃん映画上映に関して、言論の自由を盾に、一方は抗議行動をしており、一方は上映の自由を主張して対峙しておりますが、言論の自由というのは憲法でござまして、私人同士の争いの場合、上映映画館側も圧力に屈することなくご自由に上映してくださいませ、業務威力妨害と考えているのならば民法や刑法を使用し司法に訴えてくださいませ、また抗議団体側も真実でなく公共の福祉に反すると思いならば民法で戦って上映中止にすればいいのに、そこまで頭廻らないのですか?
両者とももうすこし頭を使って欲しいと、思われます。お金も持っているのでございましょう?
金子氏というスポニチのサッカー評論家がいるそうです。評論家というのは大抵、人のふんどしで喰っているため、面白おかしく個性的な文章を書こうと必死でございます。ただ一般人より違うのは、そのことで飯を食っているわけで、人よりその知識が多いくらいで、あとは知能や人柄の問題となることが多々多いと思われます。
W杯、カメルーン勝利後、彼の文章を目にして、こんな評論家が、飯をくっていけるサッカー業界こそが問題と思ったのは私だけではないでしょう。
まず彼は、最初の個人的感想でもある試合を例にだして、今回のW杯勝利で日本が喜んでいる件は理解を示しています。
しかし、その後から、私は喜べないという、自己感想を書き連ねています。
ここで、前半の勝利とW杯の勝利を比較しているところが、愚かで単純な発想だなぁと可笑しくなりました。歴史も時代も、土俵も違うのに、戦略、戦術を同じように語るのは、居酒屋での会話だけにしてください、な。1500万条件のレースとG1レースを同じように語る人は競馬ファンはいませんし、先輩からそれはな、こういうことだし、全然違うことなんだよ、とたしなめられます。彼の文章の悲しいことは、そういってくれる先人がいないことなのでしょう。
中盤から、ただ単に抽象的な文章を書くより、評論家なら、もっと具体的に、書かないとダメです。私が編集長なら、「君?これはこうしたほうがいいよ」と忠告することでしょう。
だって、今回のW杯、高低差激しすぎなんです。あのブブーもかなり激しいので、ピッチ上で声がまったく聞こえない状態なのです。そのような環境的要因を挙げもせずに、ただ単にひたすらクリアするだけと表現を使用するのは、プロの評論家としていただけないです、ぞ。例えば、視界にない後方からのプレスは、声をかけますが、聞こえない時、一番たしかな安全策は、大きくクリアで、時間を稼ぐことです。あの時間帯は日本は必至でした。繋げるときは、繋ごうという意思も見られましたし、時間を稼ぐためにいかなる手段も使うという方法も見えていました。前回W杯のオーストラリア戦とは大違いです。後半出場した選手はイエローを貰う覚悟で止めてやろうという気迫も見えました。
それで、いいんです!
アルゼンチンは初戦、最後は見事なパスワークで時間を稼ぎましたが、そこまで日本は実力はないんです。まだまだ下手ぴーなんです。でも、それでも頑張る姿こそが、子供たちには強く影響を与えるし、感動を呼ぶのです。
あなたはもし自分が指導者ならと文章を、たらればで綴りましたが、もし彼が監督なら、ボールを大切にしろ、繋げと教えるようですが、それは幼稚園児に教えることです。
評論家なら、もっとましなことを書けばいいのに。
紙一重の差で決まります。右、右で当たって、DFに右を植付けさえておいて、次は左か右なのか、それはぶつかる方向も走る方向も蹴る脚、ポジショニングなどの色々な要因があります。そのようなことを選手達はピッチで瞬時に判断して、行動しています。
カメルーン戦でも、考えてやっている部分は、随所に見られましたし、本田選手のゴールまでの軌跡は、それをやってのけたのが見事にあてはまりました。後半も全員で死守しようという姿が見てとれました。
彼の文章が描く、「日本=退屈。日本=アンチ・フットボール。この試合で張られたレッテルを剥(は)がすには、相当な時間が必要になることだろう」
言論は自由です。
しかし、彼は今後後世に向かって、この一文が、彼のライターとしての恥ずべき歴史と名を刻むことになるでしょう。
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